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鷹乃羽雅楽会温習10月28日報告と、12月温習日の変更のお知らせ。12月9日⇨2日に繰り上げ。

禰宜です。昨日、鷹乃羽雅楽会の温習日でした。新規参加者の方や、あれやこれやでばたばたしていますが、皆さん、真剣に雅楽に取り組んで居られる姿勢を前にすれば、こちらもやりがいがあります。毎回、温習終了後は講師が反省会と情報交換をしてより良い雅楽教室を運営すべく、研鑽をしております。
早速のご案内ですが、12月9日の温習日は2日に繰り上げます。雅楽部、講師の関係で誠に申し訳ないですが、ご承知置きお願いいたします。
絶対、皆さん音が出るように、雅楽をやってみて良かったと思っていただきたいので、まだ音が出ない人、めげないでください。絶対音が出るまで、講師一同、時には心を鬼にしてでも、やさしくお導きします。最近、気づいた事なんですが、年を取ったから出来ないこと、たとえばフィジカル的にこなせないことは実際ありますが、多分に「謙虚さ」とか「自分は苦手」意識を自分自身にすり込んできた大人の方が、本当は出来る能力が潜在的に有るにもかかわらず、自分自身にガードや重り、リミッターという言葉が一番適切かも知れませんが、限界値を設定されているように感じるときがあります。先ずは自分の心の壁を取り祓うことは、なかなか頭でわかっていても出来ないのですが、これが出来ると無限大かも知れませんな。私もリミッター、外したい事がありますが、外すと怖いと云う事柄もありますわな。その点、子供はリミッター(制約=自己限界意識=謙虚)とは何かわかってませんから、良いですね。ボーイズ・ビー・アンビシャス。

笙は拝殿にて温習。来月はストーブが必要ですね。

先ずは越殿楽と五常楽の唱歌を1時間、後半は楽器の押さえ方、息の吹き方を練習しました。次回参加の方はこの二曲の唱歌を練習してきてください。

一番人気の龍笛。新川神社の拝殿に龍神の木彫りがありますので、やはりなにかあるんですかね、この人気は。

篳篥の様子。女性の篳篥吹きも魅力的です。ほっぺ頑張れ、「ひちりき女子」。女性はしなやかな音律を聞かせてくれそうですね。音が出なくても大丈夫、物理的な事もありますので、自分を責めないでください。雅楽は楽器の当たり外れも大きいのです。経験者語る。何事もですけれど、「艱難、汝を珠にする」。

真剣な姿。ちょっと意外な見たことの無い眼差しかも。何時投げ出すと思ったら、楽しいというとるそうです。子供でも篳篥は押さえられるから、舌さえよければいけるか。

初陣:蘭陵王ならず乱陵王に。

禰宜です。昨日、高岡市の高岡西部中学校で行われたPTA主催の雅楽演奏並びに雅楽体験していただく趣向の会に富山県神社庁雅楽部として参加して参りました。私は琵琶と舞楽の蘭陵王を舞って参りました。私が衣装を着けて公でこの舞いを舞う初陣でした。3年前から曲の演奏と並行して修行してまいりましたが、まだまだです。基本がまだ成っていませんな。とはいえ、初陣を果たしました。思った以上に戦いでした。蘭陵王自体が戦に縁のある舞いですが、舞手にとってはまさに自分との戦いの様な舞いでありました。呼吸はしにくいわ、足下が滑るわ、面を付けているので周りが見えないわ、頭が重いのでバランスは崩すは、装束のすそが足下に絡まってくるは、いろんな事を舞いながら対処しながらなんとか舞い切りました。スクワットの連続の舞いですので今後、筋トレで肉体改造の必要性有りですな。

幕の内で着装済みの禰宜さん。

蘭陵王というよりはまだまだ卵(らん)陵王ですな。

10月21日鷹乃羽雅楽会の様子

今月から富山県神社庁雅楽部から助っ人、助手の山田さんをお招きしました。隣駅の稲荷神社の神職さんです。

篳篥の助っ人には富山縣護國神社の栂野高広さんにお願いしました。実は皆さん、舩木家とは遠からず浅からず親戚です。お忙しいところ、気持ちよくお手伝いいただきまして感謝です。

笙は拝殿にて温習。暑くも無く寒くも無く、今の時期は気持ちよく居られますが、来月からは寒いかも。

 

口でだめなら鼻で吹く。何でも試してごらん。

一番人気の龍笛。みなさん真剣です。

笙は前半1時間は唱歌。越殿楽と五常楽。後半は笙の楽器解説と楽器の出し入れの作法、あぶりかたの教授で、音を出すまでには至りませんでした。

 

10月19日、午前10時秋祭斎行いたしました。

快晴の青空。旗が揚がると気持ちもあがりますな。

本番前の一時。習礼(しゅらい:リハーサルの事)を終えて、仲睦まじい二人のショット。ですが普段はそうでもありません。

甥の二人。少しづつ成長しています。

本番のQが入れば、この様。弟の烏帽子はもう小さいから、次は大人用ですな。

宮総代さんと、今回は春祭りに続いて秋祭りも新庄小学校3年生も勉強に来てくれました。

長男が中学生になりましたので初めて大麻所役をさせました。仕込みは大変です。出来はまぁまぁですな。作法を何カ所か間違えたのは、教えた私が言い足りなかった箇所ですので、私が反省しています。

大麻のお祓い。実はお宮の構造上の間合いといいますか、お祓いをするときの隠されたコツがあるのです。これは本人も飲み込んだようですので上手く伝授できたと思います。

宮司祝詞奏上。

祭典終了後、禰宜さんは小学生の質問に応答中。

そのころ、お役ご免のわらべたち。お勤めごくろうさま。

任務終了後の有様。中身はやはり童子ですな。いや、それで良いんですが、はよ学校へ行け。

みんなで記念撮影。木琴の様ですね。

献酒ほかご献穀など誠にありがとうございました。

晴天に恵まれましてご参詣も大勢であったような気がします。

春祭りも晴れると良いですね。

 

新川神社の神様がお子様の守り神。独自意匠、七五三の千歳飴の袋完成。

新川神社オリジナル千歳飴袋。御祭神が描かれています。

禰宜です。待望の新川神社オリジナル千歳飴袋が完成しました。不肖わたくしめ原案、米田画伯の筆によるいわば「神道曼荼羅」ですな。すべて手描きですので味わいがあります。老夫婦のおきな・おみなが、新庄町の起源に当たる伝説であります。「郷村名義抄」が伝える伝説によれば、「新庄村は白鳳三年(663)に老人夫婦顕れ、『我は 面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと) の化身なり、この地の氏神と成るべし。』と申すや霊験を現され、白鷹となり飛び去っていったという。それよりこの地を新庄村と唱えるようになった」(当HP「由緒」より)

お祝いのお子様には、「この絵のように、おじいちゃん、おばあちゃんになるまで長生きできるように、お祈りした飴だからいっぺんに食べられんな、ゆっくりと食べられ。長生きして欲しいから長細い飴ながよ。この袋に描いてある新川神社の神様に護ってもらうがだから、大きくなってもお祈り、ちゃんとしられ。」と絵解きに使います。

素直に、うんうん、とうなづいてくれてはいますが、お目当ては多分、中身でしょう。なんでもいいから、はよ、よこせ、と。

雅(みやび)音楽祭、大盛況。

禰宜です。いよいよ来年に行われる20年に一度の国の若返り、伊勢神宮式年遷宮が行われることを広く周知することを目的として早4年目となる富山県神社庁のイベント、雅(みやび)音楽祭が本年も行われました。いやー今年は企画スタッフと協力者のおかげをもちまして良い感じになりました。晴天に恵まれ、お客さんも多く、新しい趣向も導入されて内容的に充実してきた感じがいたしました。私は演奏に専念していましたので企画担当者は大変だったと思います。
裏千家の方々のお茶席が本年初めて催していただきました。場の品格が上がりましたね。式年遷宮クイズなど意外にみなさん参加していただきまして楽しんでおられました。恒例の伊勢うどん、赤福はすべて完売。沢山の方々に雅な空間を楽しんでいただけたと思います。そんな一日のほんの一部を紹介しましょう。

町の真ん中に笹竹が立ち並ぶ。

お抹茶の菓子はもちろん「赤福」。

竹林はアールタチバナ謹製。

なにげに司会の廣川さん、ご一服。

昨年もあっという間に売り切れた赤福。早朝、伊勢の本店で作られた物を店の方が富山まで運んでこられた物ですので、とびきり新鮮です。

会場の様子。垂れ幕が効いてますな。

ステージから見た会場の様子。これから第二回目の演奏。

私の相棒。このごろようやく鳴りが良くなってきたような気がします。

巫女と装束の体験ができます。

古事記撰上1300年を記念して・・・

「さくや れい」さん登場。古事記の神々をテーマにした歌をご披露。from Tokyo。

ジュン・ウエムラとバンド。富山の名手揃い。

ついに最終演奏は「神楽」。日本オリジナル古典歌曲。

神楽笛は鷹乃羽雅楽会講師・名手、藤井先生。いつもは鞨鼓ですが、このときばかりは笛、解禁。

浦安の舞。巫女は日枝神社の巫女さん。

日が落ちたこの感じがかえって勇壮なかんじがします。

最後は御神楽「其駒(そのこま)」。馬に乗って神様が天に帰って行かれるイメージの歌曲です。

午前10時から午後6時30分まで計5回の演奏、お疲れ様でした。ブログアップしている私も疲れてきました。ではまた来年。来年は式年遷宮が10月に行われるので雅音楽祭は6月に開催です。

 

 

 

 

 

 

鷹乃羽雅楽会平成24年10月〜平成25年10月温習日のおしらせ

禰宜です。鷹乃羽雅楽会、たくさんの参加者、お問い合わせいただきまして誠にありがとうございます。現在定員の30名を超える40名近くの参加者がいらっしゃいますが、まだ問い合わせが後を絶ちません。みなさん、関心があられたんだなぁとあらためて感じると共に、責任も感じております。ですが、多くの方に体験していただきたいことが私の意向ですので、出来るだけの受け入れ体制を考えていきたいと思います。
練習場所が手狭ですがご容赦いただきたいと思います。駐車場は境内の中、鳥居を左側に進んでいただきます。境内内での事故には十分ご注意ください。
なにはともあれ、皆さんで楽しく、「雅楽に親しむ」事を目標にして行きたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
さて、お問い合わせの多い、練習日の日程を公開いたします。入会された方には既にお知らせ済みですが、これから参加される方はご参考にされてください。

平成24〜25年 鷹乃羽雅楽会 今後の温習日

全日程 日曜日 午後7時〜9時
会 場 笙:本殿 篳篥:社務所 龍笛:第一公民館
※ 使用施設は都合により変更する場合があります。
※ 日程も都合により、休講もしくは振り替えする場合があります。

10月 21日 28日
11月 18日 25日
12月 9日 雪のため休講

1月 雪のため休講
2月 17日 24日
3月  3日 17日 
4月 14日 21日
5月 12日 26日
6月  9日 23日
7月  7日 21日
8月  4日 25日
9月  1日  8日
10月 13日 19日(最終日は新川神社秋祭 奉納演奏会を予定)

新川神社
〠930-0992 富山県富山市新庄町2-13-47 ☎076-441-8186

新川神社独自楽器納品。

新川神社ロゴ入りでんでん太鼓。音は超ファンキー。初宮詣された参拝者の記念品ですが、どーしても欲しい方は、相談に乗りましょう。そんな物好き、いないか。

燦然と印された違い鷹乃羽紋。赤色にしようか迷いましたが、黒で正解ですな。

禰宜です。新川神社で初宮詣でをされた参拝者の記念品といいますか、神様からの贈り物と言うことで「でんでん太鼓」を社名・社紋入りで調製いたしまして先日納品されました。すでに初宮詣の方に好評をいただいております。小さいのですがかなり甲高くて威勢の良い、大きな音が出ます。しつこくやると絶対うざがられるような気もしましたが、やはり個人的に好きな物なのでみなさんにお配りしたいと思いまして導入を決めました。

でんでん太鼓の元は雅楽のふりづつみ(振鼓)という正式な楽器をひな形にして子供用に玩具化されたそうです。知らなかったです。大人が鳴らしても結構楽しめます。泣く子も一発で黙ります。

太鼓の音って、なんか、気持ちが上がりますね。ひとり落ち込んだときには「でんでん太鼓」を鳴らせば元気になるか?今度試してみます。

雅音楽祭練習中

楽琵琶と和琴(やまとごとともいう)。


お久しぶりの更新です。連日、日枝神社さんの参集殿で来る14日の雅音楽祭の練習です。今月から神宮大麻・暦の頒布祭といいまして、平成25年度、新年用の伊勢神宮の御神札であります神宮大麻をお祓いするお祭りが行われますが、その祭典に雅楽を演奏したりしますので、富山県神社庁雅楽部は忙しい時期です。なかなか出演者全員が揃いませんが、揃った面子で一人何役もこなしながら練習する方が、色々な楽器が経験できてよかったりします。当日天気が良ければ良いのですが。皆さん、お時間がある方は是非ご覧ください。

明治天皇と新庄町

現在は金岡邸。

明治天皇御巡幸史跡の標柱。中には拝観料200円で見学できます。子供は無料。

禰宜です。日枝神社の秋祭りの奉仕などでしばらくでした。さて、きょうは以前から触れたいと思っていたことを書こうと思います。実は私、大学生時代の4年間は明治神宮の神苑の中で寝泊まりをしておりました。神職の資格を取るために渋谷の國學院大學に昼間通学の傍ら、夕方からは明治神宮の研修生として夜間勤務に従事しておりましたので、寝る場所は1週間交代で明治神宮のあのだだっ広い境内の施設、たとえば社務所、会館、宝物殿、武道場、本殿のすぐ隣の御垣内など、施設の夜警を仕事としてジプシーのように森の中を転々とねぐらを変えて暮らしていました。いわば東京での4年間は明治神宮の鎮守の杜で育ったようなもんです。同じような神職師弟が多数全国から修行に来ておりまして、ようは神職の丁稚制度のようなものですな。そして本年は古事記撰上1300年と明治天皇が神去られまして100年という節目を迎えるにあたって、何かと何かが重なり合うような気がしております

先だって、毎年富山県神社庁雅楽部が指導を受けている明治神宮の神職に舞いのご指導をいただきに東京は明治神宮まで出稽古に行って参りました。折しも明治天皇100年祭を終えられた後でしたので、休憩所の宝物展示場に特別展として明治天皇百年祭・乃木神社御祭神百年祭記念展「明治天皇と乃木大将」が開催されていまして、昼食の後、明治神宮の神主さんが「見ていくか?」ということで拝観いたしまして、大変感銘を受けて参りました。明治天皇100年、すなわち乃木大将100年ですから。国難にあたって君と臣下の強い絆が国を護ってきたお国柄であることをあらためて感じ入りました。

と、いうことで今日の本題です。実は私たちが住むこの新庄町に明治天皇様が御巡幸の際、小休止された場所があることをご存じでしょうか。旧街道の通る町ですので、今日でも交通の要所には変わらない我が町であるがゆえにの事と思います。
新庄町史によりますと、明治11年(1878)9月30日に今の金岡邸である草野耕多邸にて御小休されたとあります。今日からさかのぼりますこと、134年と6日前ですね。新庄町史にはその時の新庄町のみなさんの様子など書かれていないので、はなにか逸話がありましたら知りたいです。情報ありましたらお知らせください。

私が大学時代に育った代々木の杜の御祭神・明治天皇様が昔に私の町に来られたと思うと何か親近感と因縁を感じずにいられません。その御縁は今でも続きまして、年に一度、代々木の杜で舞の稽古に励んでおるわけでしてその当時は思いもよりませんでしたが、こうして何かに導かれながら過ごす日々が、この年齢になってようやく有り難い事だと思えるようになりました。
いつか、「明治天皇と新庄町」というテーマで勉強会などやったら良いのでは無いかと考えています。古事記の編纂も諸外国との緊張状態から国内の中央集権体制を強化するために日本書紀と併せて編纂をされたものとの解釈もされています。明治時代はまさに諸外国と対等に渡り合うための近代化の時代でした、物心共に。諸外国と渡り合うためには国内をまとめなければ太刀打ちできません。何時の時代もそういう時期が来る事を否が応でも悟らざるを得ない昨今です。
近年の書籍、学者は口を揃えて「天皇の権威と正当性を説くための〜」などと一通りの言い方が目立つのですが、その前後に歴史の動きが有って、諸外国と対峙するために国内統率の必要性があっての「古事記」「日本書紀」の編纂であり、「五箇条の御誓文」「教育勅語」であったということではないかとおもうのですが。

そういう意味で、近隣国家との課題が山積している近況から、もう一度我々の祖先がどのようにして国づくりを進めてきたかに思いを馳せる秋であります。