禰宜です。いよいよ大晦日です。もう寝なくてはと、思いながら今年最後の更新です。
沢山お知らせしたいことがあるのですが、なかなか手が回らなくてお伝えできてないのが残念ですが、
これだけ創ってきましたので、根性でアップします。
皆様に取りまして、来る年が良き年でありますように。
H25神木龍の珠
禰宜です。いよいよ大晦日です。もう寝なくてはと、思いながら今年最後の更新です。
沢山お知らせしたいことがあるのですが、なかなか手が回らなくてお伝えできてないのが残念ですが、
これだけ創ってきましたので、根性でアップします。
皆様に取りまして、来る年が良き年でありますように。
H25神木龍の珠
禰宜です。北陸銀行新庄支店では只今新庄町の昔の風景を感じられる資料展を待合室で行っておられます。
当社の写真帳からも多数出品されました。来年の初め頃まで展示されているそうですので、お立ち寄りの際は眺めていってください。
禰宜です、お久しぶりです。さて、年の暮れも迫ったある日、シャワーを使おうとしましたら出ない。あれっ、と思って湯殿の蛇口をひねると出る。他の水道もでる。では、シャワーの蛇口のトラブルか?と思い、配管屋さんに見て貰うと意外に重症のようで、シャワーの手前の地下で水道管が破れて漏水している疑いがある、ということでした。舩木家のボイラーは原因究明のため停止、温水の循環も停止ということでしばらくは銭湯通いとなりました。配管屋さん、仕事を沢山抱えていらっしゃいまして、来週じゃないと来られないと云うことです。普通ですと何かと不便に思うのですが、この際いつもと違う環境を楽しんでやろうと云うことで、銭湯通いを始めました。実を言いますと私は銭湯育ちなんです。内風呂なんて中学生になって今の家が出来てからですから。小学生までは近所の銭湯に通っていたのです、週に一回。つまり、週に一回しか風呂に入れないままに育っていましたので、普通、お風呂は週に一回入る物だと思って育ちましたが、あるとき、同級生の話の中で「二日に一回は風呂に入るのが常識」みたいな話を聞いてしまったときのショックは今でも覚えています。どうりで「フケ」がいっぱい出てくるわけだ、と妙に納得しました。頭、痒かったですもん、小学生の新陳代謝の盛んな頃ですからね。でも、あの頃はそんなの気にせずに、まぁ、しょうがないか、という感じで育ったんです。
久しぶりの銭湯、新庄には「薬師鉱泉」があります。歩いて2分くらいのところですので便利です。昨年、「テルマエ・ロマエ」っていう銭湯を舞台にした映画を家族で見に行って非常に面白かったので、倅達も喜んで毎日通っています。フルーツ牛乳、あるかどうか楽しみにしていったのですが無かったです。普通の自販機になっていました。昔ながらの冷蔵庫で「マミー」とか「スコール」とかあれば良かったのですが、いまどきねぇ。鄙びた感じの絵に描いたような鉱泉ですが、サウナやジェット風呂などもあり、それなりにバージョンアップしていましたが、お湯の熱さは昔と変わらずで懐かしく思いました。番台も男女兼用です。さすがに富士山の絵は無くなっていました。残念。昔から異常に熱いんですよ、ここの大浴槽は。小学生の頃は水をいれるとおっちゃんに睨まれるので我慢して入るしか無かったあの頃を思い出しました。寒い毎日、一日の終わりにあつーい湯に入ると、ストレスが吹き飛びそうな気がしますので、癖になりそうです。いいっすよ、銭湯。
お久しぶりです、禰宜です。富山は雪です。こんなに早い時期にこんなに積もったのは驚きです。
ですがなぜか雪が降ると、元気になります。除雪とか大変なんですけれども、夜が明るかったり、たまに日差しがあると本当に綺麗です。雪かきも、雪さえ積もらなければ不要な労働ですので忌み嫌われる傾向にありますが、私は意外にやりだすとそう思わなくなったりします。
普段の運動不足解消、筋トレ、体脂肪燃焼運動には最適です。あと、不思議と綺麗に時間通りに除雪できると妙な達成感が味わえます。
というか、何でも楽しまなければやってられません、ということです、あはは。
最後に、社報「鷹乃羽」第4号アップしました。いち早くご覧いただけます。ではでは。
禰宜です。遅くなりましたが鷹乃羽雅楽会温習のご報告いたします。
本年最後の温習で、次回は年明け2月17日(日)になります。
我々神職はこれから年末年始忙しくなりますが、二月に元気な皆さんとまたお会いできる日を楽しみにしています。
私は経験上、雅楽を習得するのに、一番の近道は基本に忠実に練習することだと感じました。
まずは唱歌を歌えること。しかも一人で大きな声で、音程を正しく保ちながら歌えるように。
唱歌を大きい声で歌わないと、息づかいの練習になりません。唱歌がしっかり歌えないのに管が吹けるわけがないということです。
また、正しい音程で歌うことは難しいのですが、この訓練をしないと、管を吹いていて正しい音程が取れているかどうかわからないですからね。
笙は特に演奏自体がメロディではなく和音の伴奏になりますが、歌うように息づかいを使って吹くことが「歌心」のある良い演奏になるような気がしますので
唱歌には力を入れてしまいます。実際、唱歌をうるおぼえで吹いても楽しくないんですよ。曲のメロディ、構造がわかっているから篳篥と龍笛に合わせられるし
最終的には暗譜して演奏できるようになると、他の管の音に神経を廻せますので他の管の音が良く聞こえるようになります。
時間がかかりますが、山頂を目指さないと登頂できませんので、やわやわとやっていきましょう。
禰宜です。只今正月準備にかかっています。水無月の夏越大祓に続き、年越し大祓式も本年初めて参列者を募りまして実施いたす予定です。
夏越の大祓の時は茅の輪でしたので、年越しの大祓には新年の注連飾りを参拝者に差し上げたいと常々思っていましたので、早速試作品を作ってみました。
茅の輪御守りと同じような形ですが、材料は今年収穫された稲藁で作りました。紙垂(しで:稲妻みたいな垂らす紙のことです)を御幣のように組んで、「笑門来福」の文字を入れました。市販されているリース型の注連飾りは豪華で色紙とか紅白の水引とか色々と装飾品が付いていて綺麗ですが、新川神社では敢えてシンプルで簡素な仕様に致しました。真ん中の紙札には御朱印の縮小版が捺印されている御守り扱いですので、強力ですぞ。日時は12月31日、午後4時より。新川神社本殿前にて斎行いたします。
禰宜です。さて、鷹乃羽雅楽会の報告はお知らせしてきましたが、古事記も回を重ねてはや8回目。最初は夜の部だけだったのですが、御婦人方から「夕食の準備や、夜は行き帰りが危ないのでお昼に出来ないか?」との御要望により、昼の部を始めました。ですから1ヶ月に3回、古事記の素読をしていることになります。昼の部は11名、夜の部も11名、ひもろぎ苑(中巻コース)は8名ですから丁度30名ですね。
第8回目の今日は「少名毘古名神・みもろやまの神・大年神の子孫・国譲りの最初の部分、天菩比神と天若日子」を素読しました。日本の国づくりで大国主とすくなひこなの神の共同作業で医療の処方を広めて公民(おおみたから)を助けたご功績や、国づくりの最後の最後には「神を祭ること」が成されたことにより国づくりが完成したんだという、神祭りの起源をあらわす重要な部分、それが日本最古の神社である大三輪神社の起源譚であることをお話ししました。新川神社の御祭神である大己貴命の御事績ですので、つい、力が入ってしまうところです。今回は、神道で重要なキーワードをいくつかお伝えいたしました。元正天皇の宣命からの言葉です。
「随神(かんながら)」「中今(なかいま)」「浄明正直(清き明き正しき直き心を持ちて)」「天地の神々」「公民(おおみたから)」。
皆さんの心と記憶の隅に留まってくれることをお祈りいたしております。
鷹乃羽雅楽会もいよいよ三ヶ月目を迎え、始めた頃は暑くも寒くも無い、過ごしやすい時期でしたが、ついにストーブに火を入れる時期となりました。
この機会に本殿に大型ストーブを入れました。於保多神社の秋祭りの御輿渡御をお手伝いに行ったときに、あそこは流通センターが氏子区域で、たまたま目に入って、昨年の旧型新品ということで安値(といってもけっこうします)でしたので本殿の冬場の稽古では必要なので買いました。やはり暖かいですね。よかったです、あのとき見つけて思い切って買っておいて。ですが、旧来の石油ストーブもストックしてあります。災害時は電気を使わない機材が役に立つので常備するように心がけています。たいがい神社は電化されにくい環境施設ですので、かえって災害時は自存自営できるようにしておいたほうが良いと私は思います。
さて、進捗状況ですが、龍笛部会は越殿楽の唱歌と演奏をやったそうです。五常楽も演奏をしてみたそうです。陪臚の唱歌を初めてさわりだけされたそうです。篳篥は越殿楽の唱歌と、今は舌を調整して音が出るように仕上げるのが大変なのでなんとか越殿楽を二行吹いてみたそうです。笙部会は越殿楽の唱歌を二〜三人ずつ歌って戴きまして直しを入れました。五常楽もみんなで歌いながら二三人でも歌って貰いました。陪臚の唱歌を私が歌って初めて聞いて貰いました。陪臚のうんちくもお披露目しました。
笙の演奏については、楽器の出し方、しまい方、炙り方、持ち方、構え方、暖める温度の確認、乙の合い竹の押さえ方、四拍の息の気替えの練習、短い気替えの練習をいたしました。次回の11月25日までに越殿楽と五常楽の唱歌を一人で歌えること、合い竹の「乙 ぼう 一 乞 工」の押さえ方を覚えること、息の「着替え」を短くても良いから練習することをお伝えしました。
実際は雅楽を習得するというとは大変な労力が必要なのですが、まぁ、たのしみながら 参りましょうか。
禰宜です。最近、知り合いのアーティスト(画家)二人が口を揃えてお薦め戴いたのがこの本です。私も強くお薦めするのは、絵の表現力もそうですが、漫画の吹き出しがすべて原文であること。やまとことばそのまま。国生みの表現、好きです。特にイザナミの命さんの「しかよけむ」。あらためて、古事記が好きになる本です。お薦め。
お久しぶりですなぁ、禰宜です。いやぁ〜、忙しいのに加えて咳き込む風邪が長引いて疲れ気味です。祝詞を読んでいても笙を吹いていても咳き込むときは咳き込みますので、いつもの薬が聞いていないので再診していただいて薬を変えましたが、まだスッキリ直りません。
さて、そんなところに待望のニューモデルが納品されました。一般的に神社で厄除けや初宮など御祈願を受けられた方には撤下神饌(てっかしんせん)と云いまして、神様にお供えした「お下がり」をお渡しします。「おみやげ」の語源は「お宮からのお下がり」で「お宮下(みやげ)」ともいわれますように、御神威の籠もった物としてありがた〜い物が貰えます。定番はお米、御神酒、するめ、昆布、干菓子など食物ですが、その神社なりに御祭神のゆかりの有る物や記念品が付いてくる場合があります。その中でも多いのが「箸」でしょうか。新川神社でも昔から箸をお下げしていましたが、数年前からモデルチェンジを試していまして、ようやく完全オリジナルの「五色の御箸」を調製することが出来ました。これは新川神社のオリジナルですので他には売ってません。富山市の箸製造業者にカスタマイズオーダーした物です。
詳しくは中身の栞をPDFで置いておきますので見ていただきたいのですが、色や箸にもこだわりました。私、実は「割り箸」愛好家です。割り箸もどれでも良いのでは無くて、やはり好みがあります。いつもは石清水八幡宮(私の修行神社)の祝い箸を洗いながら使っております。塗り箸は滑るのであまり好きでありません。素朴な素木の感触が好きです。一時期、割り箸はエコではないからマイ箸というのもなるほどと思いますが、使い捨てではなくて繰り返し使っています。ですから結構割り箸って溜まっています。寿司屋の出前の分とか。と、いうことで以前から納得のいく物を神様に捧げて、参拝者の方々にお持ち帰りいただきたいという純粋な気持ちで、経費がかかるにもかかわらず、調製致しました。財務局長、見積もり見て絶句しておいででしたが・・・。基本的に妥協を許したくない性格なもので、今後もより良い、厳選された物をお下がりとして皆様に提供したいと思いますが、何分予算もありますので、少しずつ進化させていきたいと思いますので乞うご期待ください。
どうぞ、お正月の祝い箸としてご家族の団欒に。また大切なお客様のお手元にお使いいただけますれば幸いです。
箸は神と人との「はしわたし」をする神聖な物なのです。
PDFファイル「五色の御箸」解説文はこちら→ 御箸栞解説文
禰宜です。急に寒くなりました。私も先月から咳が止まらないので、祝詞や雅楽の演奏などで咳き込まないかと気になる日々です。
さて、本日の読売新聞には読売ジャイアンツの優勝もそうですが、新庄ジャイアンツの記事もでかでかと掲載されました。
本当におめでとうございます。伝え聞きましたお話に寄りますと、本年、年頭に一年間の必勝をお祈りに来られました時に新川神社で必勝祈願をしてお授けいたしました木製の祈祷札を、試合ごとに父兄の方がベンチにお祭りされて試合に臨まれたと聞いておりました。
昨年まで私の愚息がお世話になっていましたので承知しておるのですが、やはりご指導される山本監督以下コーチの方々の並々ならぬ情熱と献身的なご奉仕によるご指導のたまもの以外のなにものでもありません。練習量、すごいですからね、本当に。児童達もそれぞれに個人練習をしているので、これだけ練習するから強いんだなぁと感心しております。
お祝いを申し上げますと監督もご父兄も「御神札のおかげですよ」と謙遜して言ってくださるのですが、やはり「人事を尽くして天命を待つ」人にはそれなりの結果がついてくるということだとおもいます。今後も怪我の無いようにご活躍されますことを新庄の守護神である鎮守の宮よりお祈りいたします。
禰宜です。昨日、鷹乃羽雅楽会の温習日でした。新規参加者の方や、あれやこれやでばたばたしていますが、皆さん、真剣に雅楽に取り組んで居られる姿勢を前にすれば、こちらもやりがいがあります。毎回、温習終了後は講師が反省会と情報交換をしてより良い雅楽教室を運営すべく、研鑽をしております。
早速のご案内ですが、12月9日の温習日は2日に繰り上げます。雅楽部、講師の関係で誠に申し訳ないですが、ご承知置きお願いいたします。
絶対、皆さん音が出るように、雅楽をやってみて良かったと思っていただきたいので、まだ音が出ない人、めげないでください。絶対音が出るまで、講師一同、時には心を鬼にしてでも、やさしくお導きします。最近、気づいた事なんですが、年を取ったから出来ないこと、たとえばフィジカル的にこなせないことは実際ありますが、多分に「謙虚さ」とか「自分は苦手」意識を自分自身にすり込んできた大人の方が、本当は出来る能力が潜在的に有るにもかかわらず、自分自身にガードや重り、リミッターという言葉が一番適切かも知れませんが、限界値を設定されているように感じるときがあります。先ずは自分の心の壁を取り祓うことは、なかなか頭でわかっていても出来ないのですが、これが出来ると無限大かも知れませんな。私もリミッター、外したい事がありますが、外すと怖いと云う事柄もありますわな。その点、子供はリミッター(制約=自己限界意識=謙虚)とは何かわかってませんから、良いですね。ボーイズ・ビー・アンビシャス。